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辺野古二日目1 沖縄訪問二日目(23日)の報告です。
 前日から宿泊していた「海と風の宿」を朝5時半にレンタカーで出発、ゲート前に向かいます。天気は雨、この時間はまだ真っ暗で、夜の海を眺めながら、どうしても緊張は高まります。圧倒的と思える機動隊の暴力の前に身を投げ出して非暴力で闘うのです。怪我をするかもしれない、インネンつけられて不当逮捕されるかもしれないと思うと体が固くなります。ただ逃げ出すことのできない沖縄現地の人々への連帯の思いだけで勇気をふりしぼっていました。

 午前6時すぎに現場につきますが、やはりまだ暗く、ただ基地のゲート内だけが煌々と明かりに照らされて、そこには雨煙の中で機動隊のバスが光っていました。おぼつかない足元を基地の明かりをたよりに座り込みテント前に集まると、そこで説明と打ち合わせがありました。それによると目の前のゲートは第二ゲートで、もう少し先に工事用の専用ゲートがあること、7時前には工事車両が入るであろうこと、雨の中で仲間がすでにその前に座り込んでおり、私たちもそこに合流して座り込むことが説明されました。注意点として、機動隊がゴボウ抜きにくるだろうが、私たちはあくまでも非暴力を貫くこと、今は怪我や逮捕をさけて、排除に対し強硬な抵抗はしないようにとのことでした。

辺野古二日目2 工事用ゲートの前には機動隊のバスが歩道を塞いでいます。以前はちゃんと基地の敷地の中でゲートを塞いでいたのですが、ゲートの前にゲートを作るような 形で歩道ギリギリまでバリケードを張り出し、さらにその外の歩道上に警察車を置いているのです。彼らは歩道の専有許可を持っていないので、もちろん普通に 違法(単純に駐車違反)です。そのせいで歩道を歩いてきた人は、車道上に迂回して通行せざるを得ない状態になっています。そんな警察車両を取り囲むよう に、あるいはわずかな隙間を見つけて座り込むわけですが、この日は車両に乗っていた東京から来た警視庁の人間が、エンジンを空ぶかしさせてアイドリングを 続け、座り込んでいた人たちに排気ガスを浴びせるということをしました。こんなことをする警官は初めてだそうで、本当に警視庁は陰険だなと思わされます。

 座り込むあたりからますます雨足が強まって、体は冷たく冷えてカッパ越しに服の中にまで雨が染みてきます。みんなでブルーシートをかぶって耐えていると、暗闇の中から機動隊が現れ、車両の隙間にいて周囲の様子が見えなかった私たちは。いつの間にか彼らに囲まれていました。ゴボウ抜きの排除が始まりますが、私たちは事前の確認通り、激しく抵抗することはせず、怪我をしないように体の力を抜いて、腕をねじられつつ3、4人がかりでゲート脇歩道の「檻」の中に連れて行かれます。

 それでも精一杯の抗議と説得を大声で皆が行います。座り込みを排除しにきたのは沖縄県警のようでした。それで私は、県も市も、首長も議会もすべて私たち反対派の味方であること、民意に反し、民主主義に背いているのは君たち機動隊であること、県警は県民を守るべきで弾圧するのが仕事ではないはず、警官になった初心に帰るべきだろうと、できるだけ丁寧な言葉で訴えました。公平を期すために、そんな私たちの訴えを聞きながら排除する特に若い隊員たちは、比較的言葉使いも丁寧で、できるだけ反対派に怪我をさせないという配慮はあったように思えることを記しておきます。それともそれは、そう思いたいという私の悲しい願望だったでしょうか。

 ところが排除される途中で道の反対側歩道を見ると、なんと背中に「警視庁」と大きく書かれた機動隊の部隊が、座り込みに参加していない人々を襲って、突き飛ばすなどの暴行を働いていました。道路の反対側にいたのは、高齢や体調などの関係で、座り込みに参加していなかったいわば「非戦闘員」です。それを狙って酷い弾圧を加えるとは、どこまで見下げ果てた部隊なのかと。一気に頭に血が上って怒りに震えてしまいました。

 その後、機動隊の肩ごしに、工事車両(ダンプ3台だったと思う)に精一杯の抗議をあびせ、機動隊が基地内に引き上げると同時に私たちもテントに戻り、山城博治さんの司会でテント前集会を続けました。

辺野古二日目8 山城さんを直に接したのは今回がはじめてでしたが、その司会ぶりはとても元気でユーモアもあり、何より「みんなの気持ちを代弁する」という意味で、私たちの思いをたくせる人のように思いました。そうでありながら抑えるべき時には納得の上でそのことをみんなに提起できる、一言でいってカリスマ性があるというのかな、首都圏にもこういう人がいたらいいなと思わされました。

 テント前集会の前には私たちにも「よく来てくれた」と気さくに話しかけてくださり、しばらく歓談することができました。山城さんは「辺野古の闘いがすすむにつれ、全国からいろんな課題を闘ういろんな人が来てくれるようになった、その人達と交流するうちに、全国のいろいろな課題がこの辺野古に積もって、その結節点となっていく。原発やTPPもそうだし、そういうあらゆる闘いが結集した闘いとして辺野古は勝利していくんだ。そのことで辺野古は沖縄だけの問題でなく、全国の闘い、そして世界の闘いへと広がっていくんだ。これは闘いがはじまった当初では考えられなったことだ」と展望を語られていました。

辺野古二日目7 集会では弁護団の方などの発言が続きましたが、そのうちに山城さんより「辺野古リレーのみんなが東京から20人でここに来てくれている」との紹介があると、テントからは「おーっ!」という声と拍手がおこり、私たちジグザグ会と直接行動(DA)のみんなが前に出て、再び拍手と共に紹介されます。DAの皆さんは一人づつ発言され、ジグザグ会は私が代表して挨拶させていただきました。自分がなぜ沖縄の問題に興味を持ち、どんな思いで沖縄まできたのかを話させていただき、テント内から「ありがとー!」の声もいただき、ありがたく嬉しかったしほっとしました。その後、沖縄タイムスと琉球新報の記者さんに取材され、翌日の沖縄タイムスには「本土から学生たちが支援に来た」とDAの学生たちが写真入りで紹介されました。

 そのままテントで沖縄の方々と一日交流しつつ、テントで過ごしましたが、早朝以外に2回、計3回の作業車の出入りがあり、そのたびに私たちはゲート前に座り込んで排除されるの繰り返しでした。それなりに緊張して体力も使いますが、だんだんと度胸もついて、周囲を見渡す余裕も出てきます。名目上、辺野古の機動隊を指揮しているはずのマキシ中隊長(実際には東京から来た警視庁に牛耳られているようだ)の傍若無人ぶりは話に聞いてはいましたが、実際に見ると、その人を人とも思わないような態度には本当に腹がたちました。他の県警の隊員が仕事してやっている感じなのに対し、一人で感情むき出し、敵意全開で、なんというか大変に意地悪な感じです。

 テントでの交流ですっかり沖縄の心に馴染んでいた私は、僭越かなと思わないでもありませんでしたが、気がつくと私は、ゲート内に大股で引き上げようとするマキシ中隊長に追いすがって「こ、この裏切り者ぉ!沖縄を裏切るのか!」と叫んでいました。マキシ中隊長はこわばった顔で憮然として去っていきました。その表情はかなりイライラしているようで、名前だけ責任を負わされ、実際は下請けのように使われ、精神的に憔悴しているようにも見えました。そのことに決して同情はしませんが、なにか同じ人間としては哀れに感じました。

 あとこれはどうでもいい余録なんですが、面白かったこととして、昼すぎでしたか、なんとか言う石原慎太郎の子分の右翼議員が、お付の人(?)に大きなビデオカメラを持たせて現れ、道路の反対側からテントに向けて「ここから退去せよ」とやりはじめた。参院議員のようだから選挙が近いのかな。次世代の党に行かなかったか分派だかの、ほとんど名前も出ないミニ政党を作ってる人らしい。辺野古の奴らに襲撃的街宣を仕掛け、その様子をチャンネルさくらだかネットだかに流して、ネトウヨ層から拍手喝采でウマーということらしいです。

辺野古二日目5 まあそんなことどうでもいいんですが、なんか「私も基地には反対ですが…」とか言い出してあきれた。実際にやっていることは基地を背にして反対派を罵倒し、基地には一言も抗議しない。まさに「言うてることとやってることがちゃいまっせ」の典型。そのことに自分で気がついていないのが滑稽。基地に反対なら結構。私たちと趣旨が違うにせよ、あなたはあなたで基地に抗議するなりなんなりの行動をしてるところを見せればいい。基地とアメリカに「No!と言えるあなた」を示した上で、こんな襲撃的パフォーマンスではなく、ちゃんと普通に人としての礼儀をもってにテントを訪問して意見を言えばいいだけのこと。今のテントのメンバーならちゃんと応じてくれるはず。こんなやり方じゃ客観的には安倍と米軍の手先にすぎない。礼儀知らずにもほどがあるというものです。

 あげくに不法占拠だの過激派だのデマまで飛ばし始めたので、こりゃ本当に何も辺野古の問題の勉強もせずに知らずに、ネトウヨ的思い込みでふらりとテントに来ただけと丸わかりです。そのうち心優しい地方議員の方が、道をわたってここは不法占拠ではなく、当事者同士と行政を含めた話し合いで、ゲートの真ん前からここに移っているのだという経緯などを説明すると、街宣をやめて「話し合えたことは素晴らしい」とか自分の非礼を棚に上げて、まるでこちらが話し合いを拒否したみたいなデマを飛ばして帰っていかれました。基本的に撃退されたということだと思います。
辺野古二日目6
 これまた余談ですが、このことをツイッターで流したら、途端にネトウヨ系の粘着な「ファン」がいっぱいついてびっくりしました。いやもう、どうでもいいから。君らにとってはそんなに大事な人だったんですかねー。でもほんと、私にとってはどうでもいいから。単に一回右翼が来た以上でも以下でもないから。それにどうせ次の選挙で消える人(政党)でしょ?そのへんは好きにやってください。ただ他人に迷惑かけるのはやめてね。

 帰りには地元の方に教えていただいた「与那嶺水産」というお店でお刺身をたっぷり買って帰りました。安い!これを食べて、明日からも頑張ります。

草加耕助(ジグザグ会・サイト「旗旗」主宰・建設労働者)