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那覇空港にて ただいまジグザグ会で沖縄の辺野古に来ています。「海と風の宿」に宿泊中。ジグザグ会直接行動(DA)の共同、辺野古リレーの協力という形で、現地派遣団を編成、参加者を募って沖縄訪問が実現した次第です。派遣にあたっては3団体で講師を招いての合同の学習会、参加経験者の体験を聞くなど、内部での認識を深めてきました。そのかいもあって、参加者数は一度も現地に行ったことのない者を中心に20人規模となりました。学習会や講演の内容はとても良いものでしたので、またあらためて紹介したいと思います。

 人数が増えるにつれ、一度だけ大人数で行って、そのあと続かないのもどうかという意見もありましたが、今回は最初ということで、みんなでしっかりと現場を見て闘いに参加し、それぞれに自分なりの考え深めつつ、3月はそれを踏まえた上での体制を整えて、4月からも継続して数名ずつの派遣を継続的に続けていきたいと考えています。

嘉数高台より普天間基地を望む  さて、私たちは今朝から格安航空券にて複数の飛行機に分乗、私たちジグザグ会を中心にした8名ほどは、22日の朝8時30分頃に羽田を離陸、昼前には那覇空港に到着しました。そのままレンタカーで移動を開始、最初に普天間基地を見下ろす嘉数高台に向かいました。普天間市を一望できる公園ですが、それだけに、まさに生活のど真ん中に基地が居座っているとしか言い様のない光景が眼前にひらけます。ちょうどオスプレイが飛行中でした。

 ここは沖縄戦時に、米軍が元から住んでいた住民を追い出して収容しているうちに接収して建設した基地です。帰ってきたら自分の土地が基地にされていたわけで、まさに「銃剣とブルトーザー」の代表的な基地の一つです。ネトウヨさんの中の一部には、先に基地があって後からやってきた住民が補償金をたかっているのだとかデマを流しているらしいと聞いて驚きました。まさに基地をめぐる真面目な議論にとって迷惑でしかない、アンフェアな態度としか言えません。正直とんでもない話だと思います。

 ちょうどお昼だったので公園の前のお店でソーキそばを食べました。美味しかった!沖縄ぜんざいなるものがあったので、興味をもって注文してみたら、かき氷の上に粒あんと白玉が乗っていた。驚きましたがさっぱりしていてこれも美味しかったです。沖縄の「ぜんざい」はこれが普通なのでしょうか。

嘉手納基地を見下ろす道の駅 その後、車で名護市に向かいつつ、嘉手納基地の横を通ります。とてつもなく広大で、行けども行けども基地が続きます。国道沿いの「かでな道の駅」の展望席から基地を望みます。ものすごい頻度で戦闘機やヘリがひっきりなしに飛んでいました。那覇周辺の基地はあまり使われていないような印象を受けましたが、やはり嘉手納は別格のようです。聞いてみると、基地の再編で使わなくなった場所を「返還」と称してすごく恩着せがましく放棄し、北部に米軍機能を集中させているようです。また、実際には沖縄は中国に近すぎて、中国が大国化した今ではアメリカの対中戦略上、もはやあまり良い立地とは言い難く、海兵隊も減り続けているそうです。

 道の駅の中には資料の展示室もありました。戦前からの嘉手納の歴史、沖縄の発展を担った時代、なのに戦後は一転して嘉手納町の実に8割を米軍に接収されてしまいます。展示室には接収されて基地にされてしまった部分の、基地建設前の様子がジオラマとして忠実に再現、保存されていました。大変に勉強になる資料ですので、機会があれば是非訪れてみてください。また、一階の土産物屋には、通常の沖縄みやげにまじって、「オスプレイNo!」のTシャツがごく普通に売られていました。

沖縄国際大学ヘリ墜落現場 ヘリが墜落した沖縄国際大学前では、墜落現場で一瞬にして黒焦げになった大木の根元が、事件を忘れないために保存されているのを見学しました。事件当時は沖縄県警さえもが米軍に止められ、操作や救助活動ができなかったそうです。

 恩納村の国道を進んで名護市にぬけていきますが、かつてはこの国道をまたいで実弾演習が繰り返され、そのたびに道路が閉鎖されて生活に支障をきたしてきました。名護市街で買い物をすました後、今夜の宿の「海と風の宿」に向かいます。宿に荷物を預けてから、高台から大浦湾を見に行きました。曇り空でもう夕刻でしたが、それでもエメラルドグリーンの海が美しい!「エメラルドグリーンの海」なんて、テレビや写真でしか見たことがありません。対岸にあるキャンプシュワブと作業台船を見ながら、辺野古リレーの方よりいろいろと説明を伺いました。

 書きたいことはいろいろありますが、明日は朝5時起きでゲート前に向かいます。早めに準備して寝ないといけませんので、とりあえずは行動報告のみにて失礼します。